
ブラックモアズ・ナイト。
ブラックモアズ・ナイト。
クリスマスソング
沢山の賛美歌がギターに乗って
暖かく幸福な世界だけど、どこか哀愁が漂う
ノスタルジーの世界
『Winter Carols』 のなかのインスト、
M3.「WINTER (Basse Dance)」のアコギたまらない
あとはもう、とにかくメリークリスマス
音がとても心地よい
そしてとても美しい唄声
父と伯父がクリスチャンだったので(私は無宗教)
クリスマスは重大な行事だったな
なんか、淋しくなってきた
おやすみ
色んなことについて、とても斜に構えている部分が多い
誰かが「いい」といったものをそのまま「いいね。」と
すぐ同調する神経は信じられないし、それはとてもつまらないことだ
自分の五感で吟味して、その人のなにか、を、
奪いたい気分でいつもいる
だから、やりたいことが、やりとげたいことが、増えていく
全部出来るかわからなくても
生きるエネルギーに、なる
作品が「外」へ出るとき、
創り手の本性は丸見えになる
作品は無言だけれど、創り手には口がある
チケットは、ただの紙切れではない
CDアルバム約1枚分の値段と、いろんなきもちや、
希望が詰まっている
ライブによっては早朝から何時間も並んで買いに行く
その日その時の一瞬を、奏者と共有しにいくために
そりゃそのライブ行って自分が「よくなかった」と思うのは
自身の勝手だから、損をしたとは思わない
しかし、あきらかに手(心)を抜いている奏者を目の当たりにすると
幻滅する
大欠伸をしたりとか(パフォーマンスなら別だけど)
音楽は 気持ちの揺れ幅が大きく左右するものだから
調子がおかしいときも勿論あるし、仕方のないことも多いけれど
「気分屋」のスタンスでやられると、淋しくなる
「こなしてるかんじ」とか
「やっつけ仕事」とか
「早く帰りたい」とか
全部 音で伝わってくる
じゃぁ、帰ってくれ、と、思う
ライブしないで欲しい、と思う
チケットの分量=人気ではない
演る側には、儲けとか、数字、とか
そういう風にしか見えない人も居るのかもしれないね
いわゆる 知らぬうちに「一発ヒットしちゃった」バンドとか特に、
次の年からはゆる〜〜り活動して、お金もいっぱい入るだろうし、
ぬくぬくぬくぬく
紅白に向けて とりあえず出しとくか、みたいになってって、
ぬくぬくぬくぬく
ファンに 甘えて
音楽始めた時の なにか を落としていって 忘れていって
こじゃれた服を着るようになって
それがとっても似合わなくて
んで 消えていく
そういうひとたちは 苦手
私はそういう人のライブには殆ど行った事がないけれど
そう信じたい
糧に重きを置くか、
リスクを伴ってもやりたいことを、
全うする為ブレないで走り続けるか
超個人的な独り言
…話が脱線してきた。。
常に誠実に、作るもの・奏でるものと向き合うべきなんだと思う
こっち(客)は、あっち(奏者)からバカ面に見えても案外シビアだ
個人的見解だし、負のことしか書いていないし、
今書いたことはここ一年を振り返ってのことです

この前、友人に奨められたカフェにM君と行く
Mと会うのは今年最後だ
というか、もういつ会えるかわからんな 大切な友人である
私はどちらかというと女性より、男性としか安心して話を出来ない
女性も信頼できて大好きな人はいっぱいいるけど
金魚鉢にカフェラテが入って出てきました
徳利にシロップ、おちょこにミルク
ヤスエが可愛かったです
そういえば仲間とド○ール行った時、ホットコーヒーに
ガムシロップ入れて飲んでいたのには衝撃でした…
*
ある日、
喫茶店の右隣で俯きあって黙っている学生風の男女を見た
男はマフラーをぐるぐるに鼻の上まで巻いて顔を覆っている
女は淡々とそして優しい声で、語り続けている
男は斜め下を凝視し、白い壁を見つめている
伏し目がちの黒目は濡れていた
女はオーダーした紅茶に一度も口をつけず、煙草に火を点けた
今日も何処かで たくさんの 出逢いと別れが
いつも何処かで たくさんの 笑顔と涙が
日々というのはシャボン玉のよう それだけで奇跡だ
男が口を薄く開け、ゆっくりと一言一言噛み締めながら沈黙を破る
言葉の一粒一粒が光りを放って、空気に溶けてゆく
女が はい。 と何回も相槌を打っている
時間というものを リアルに感じる
なぜ私が泣く 帽子被っていてよかった
時の流れというものを、肌で感じる
気付いたら男女は辛いジョークを交えながら笑っていた
それまでを、掻き消すかのように
ふたりなのに ひとりとひとり
ひとりなのに ふたりでひとり
*
「ウルフ物語」がとうとう完結した 好きな漫画だ
買っていない巻もあるけど、表紙がいつもコラージュぽくて好きだ
数年ぶりに今度ひとりで墓参りに行くか
私は墓参りが苦手だ 行く理由が明確にないから
某唄ではないけど、そこに父は居ない
そして墓参りには家族との思い出がありすぎる
でも
いまは、行くべきなんだと、ぼんやり思う
そこに、骨は、確実に眠っているんだもの
私はまだそこに眠りたくなんかないけど
おやすみなさい。
BGM:「LAS VEGAS」「光と身体(Flora ver.)」
リピート
自分の食べたいものだけ作ると
このように協調性の無い献立になります
よく言えば和洋折衷 又は お子様ランチ
【今宵のメニュー】
・クラムチャウダー
・香草バターチキンライス
・白和えもどき
・タコさんウィンナー

材料待機、豆腐はレンジで水切りしたつもり
白和えのレシピなんてわからず記憶を辿る 出てこないので勘
とりあえず色味野菜と豆腐を胡麻や味噌や出汁で和えるのね
と楽観視

クラムチャウダーの味付けは 塩・胡椒だけです
小麦粉も入れたが、マッシュしたジャガイモを少々加えると
とろみが出ます、缶詰の汁がコクを出してくれます

タコウィンナーをバターで炒めた後のフライパンで
そのまま人参・玉葱・塩少しふった鶏肉をジャーっと炒める
乾燥ハーブミックスをふりかけ、炊けたご飯を投入し出来上がり

完成
反省点は豆腐の水切りが完璧ではなく少しべチャッとしたこと
乾燥パセリの瓶を切らせていてチャウダーに彩りが無いこと
…心の清らかな方は、タコの足が8本に見えるはずです…
いつも一皿料理+サラダですが、今回、副菜をつけてみると
時間配分とか効率とかが課題になってくる
如何にリズミカルに段取りを踏み、無駄な時間を排除して
作り上げられるかも、闘いである そのへん私は小学生レベルだ
食はすべての基本
他のことにもいっぱい応用のきく生産的な活動
精神的に参ってる時にも邪念飛ばせるので、効く
あ、とってもおいしかったです たまには自画自賛
追伸:某方へ
17日明け方送ったメールは、無視して大丈夫です、申し訳ない
おやすみなさい。

***

いつのまにかニーチェが赤子を身ごもっていました
すごくおなかが大きいし、うごいてる
また めでたい報せです
私の母は勝手にオロオロしていますが(ノラ猫なので…)
仔猫が無事産まれますように
ひきとり手が現れますように
ニーチェのだんなは絶対にニラミーだ!!
近所でデートしてるの何回も見たもんね
ふたりして(二匹して、か)並んでこっちみてんの
めちゃかわいい

『歴史の天使』
1996年ワタリウム美術館で開催された展示のカタログ
モノクロ写真と詩文
淡い水色に金箔のように輝く縁取りの装丁もとても美しい
そして豪華すぎる内容
マン・レイ、ロバート・メイプルソープ、
ジョエル=ピーター・ウィキトン、デュアン・マイケルズ、
アレン・ギンズバーグ、アンディー・ウォーホル、
アウグスト・ザンダー、デイヴィット・ホックニー、
クリスチャン・ボルタンスキー、寺山修司
”写真の視線が達するのは
「歴史」のなかには登場することのない歴史である”
”天使は、かれが凝視している何ものかから、
いまにも遠ざかろうとしているところのようにみえる(中略)
強風は天使を、かれが背中を向けている未来のほうへ、
不可抗的に運んでいく。”
(序にかえて:多木浩二 より一部引用)
***



『Album:The portraits of Duane Michals 1958-1988』
デュアンの写真にはよく手書きのメッセージが添えてある
今日のブログのタイトルが、氏の言葉である
さっきの『歴史の天使』の写真家の中にも文を添える人が多い
この2冊と出逢ってから、自分の中のなんらかの焦点が
ハッキリするようなきっかけにもなった、宝物の本達だ
デュアンはゲイらしい
私がすきになる作品を生むアーティストはなぜだか
ゲイの人が多いことに後から気が付く
又は、極端に良くも悪くも「かたよっている」ひと
しかしどの表現者にも必ず共通しているのは、
セクシャリティが、中性性のにおいが、人間臭さが、愛が、
たっぷりと作品に滲み出ているところだ
作品がたとえ無機質的なものだとしても
蜷川実花の来年のカレンダーとポストカード集と
7年ぶりにコートを買ったら銭が無くなりました
おやすみ。
夕暮れ時、原宿のカフェで
林檎のタルトに牛乳のホイップクリームを
めいっぱい乗せながら食べていたら、
妙に大きな音が聞こえてきたので見回した
すこしとおく斜め前のテーブルで
アタマからつま先までとってもお洒落な3人組の女性達が
にぎやかに軽食を摂っていた
食器を置く音、笑い声、フォークと皿が当たる音
ガシャンゴトンキャアキャアガシャンゴトン
瞳をピカピカさせておしゃべりに夢中みたいだ
3人共、手話だった
と、いうことだ
耳の不自由な人を見かけることは多いから
なんの違和感もなかったけれど
「あ、耳が聞こえないのかな、私だったら、悲しい。」
と、見かけるたび、いちばん初めに思ってしまう自分が
恥ずかしくて嫌だ でも考えてしまう
「事実」に対して当人がどう思っているかなんて
他人から勝手に感じ取られることは一番うざったいだろう
私は16才くらいまで、今でこそ完治したものの
全身慢性アトピー性皮膚炎で
痒すぎて瘡蓋もすぐ剥がしてしまうので正常な皮膚が生まれず
とくに幼稚園〜小学校低学年は顔も全身も包帯だらけ
それこそミイラ状態で いろんなことばをふっかけられていた
お涙頂戴の話ではない
たまに優しいことばをかけてくれた人達の目の中には
「うわ、可哀相ー。私のほうがかわいい。」
のような、安堵と優越感の色がくっきりみえた
冷静に、そう見えた
私、ひきこもった
なにかしら「見た目」に、
ハンディキャップを持っているであろうと感じる人と出逢うと
未だに、私は何だかこころがざわつく
10代後半、自分の足で外出できるようになったきっかけであり、
初めて私に 空をおしえてくれたひとに再会したくてたまらない
それで、あの頃うまく言えなかったありがとうを伝えたい
元気だろうか
ガシャンゴトンキャアキャアガシャンゴトン
沈黙がいちばんにぎやかだった夕暮れ
*
昨深夜一気にまた曲を作った
私の癖なのか、はじめに伴奏の和音をいきなり思いつくので
メロディーはおまけなかんじ
懲りない奴だ
ぐわーっと浮かぶかんじ、出来上がったときのスカッとした感覚、
なにより奏でていて楽しい
またいつか「形」に仕上げたい
おやすみなさい。

昨日はハロウィンでしたね。
写真はウチのトイレです。
某所でちょっと仮装してきました。
天使やお化け、熊や魔法使い、いろんな世界の住人?が居ました。
*
話いきなり変わりますが
はだかの王様という絵本の終盤で、子供が王様に向かって
「王様ははだかだ!」と言ってしまうシーンがありますよね。
私はその子供のようなところがあり、
無神経に人の自尊心を突いてしまうという短所があります。
(絵本では王様はとても良い人で、ハッピーエンドですが)
無神経・無意識なときの自分が、怖いです。
*
ある著書に
「書いたり創るものではない、つかまえるものだ」
というようなことが書いてありました。
私も、道を開拓しながら、
未知なるものを、そして私を、つかまえて生きていきたいです。
おやすみなさい。


